2008.02.13.

ちょっと大学の教育関連の用事で,岡山市西大寺まで行ってきました。

時恰も 奇祭・裸祭りの3日前・・

ということで,西大寺に行ってみました。
  

吉井川畔に堂塔伽藍が鎮まる西大寺は、今から約1200年昔、天平勝宝3年(751)周防の国(山口県)玖珂庄に住む藤原皆足姫が観音菩薩の妙縁を感じて金岡の郷に草案を開基し、千手観音を安置したのが創まりであった。

観音像は------以下のような経緯で,いらっしゃるということです。

1990年、中国観音霊場会は普陀山仏教協会と、交流を始め、翌年には友好関係を結び日中合同法会厳修するにいたりました。また普陀山より「不肯去観音像」と「恵鍔大師像」の複製尊像二体を贈られ現在、中国観音霊場37ヶ寺にて持ち回り安置されることとなりました。以来、普陀山へは毎年訪中参拝団を派遣し友好交流を深めています。このたび交流10周年を記念して普陀山にある33メートルある南海観音の10分の1の大きさの南海観音像の贈呈を受け、第一番札所の当山にお祀りされることになり、平成15年5月11日、中国観音霊場全寺院住職と普陀山仏教協会代表団が出仕して、日中合同の大開眼法要が厳修されました。(平成15年5月11日に開眼法要)。


裸祭り・・というだけでなく・・その伽藍の様子は,往時を偲ばせる深さがありました。


そして,金比羅観音もありました。


会陽・・・今年は2/16の土曜日ですね・・・の説明です。

約1300年前、西大寺観音院を安隆上人が創設したとき、奈良東大寺の良弁僧正の弟子実忠上人が修正会(しゅしょうえ)を伝えました。修正会とは正月に修する法会の意で、14日の間、10数人の僧侶が斉戒沐浴して、祭壇に牛玉(ごおう)を供え、観世音菩薩の秘法を修し、国家安穏、五穀豊穣、萬民繁栄の祈祷を行うのです。牛玉というのは、杉原や日笠という丈夫な紙に右から左へ牛玉、西大寺、宝印と順に並べて刷ったもので、14日間の祈祷を経て、満願になると、ことし一年の五福(寿、富、康寧、好徳、終年)を授ける意味で、その牛玉を信徒の年長者や講頭に授けたのです。ところがその牛玉をいただいた人は農家は作物がよくとれ、厄年の人は厄を免れるので、年々希望者がふえ、奪い合うとちぎれるので、いまから約500年前の室町時代の永正7年に、時の住職忠阿上人が牛玉の紙を宝木(しんぎ)にかえました。宝木をむらがる信徒の中に投げ、これを得た者に五福を与えるようにしました。このとき初めて”会陽”(えよう)と名づけられました。



客殿・・は,白壁でした。

寒椿も・・・今日はつめたい風がきつかったです。


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さて,用事を終えて・・JR赤穂線・西大寺駅です。



冷たい筈です。

帰路では,そして,中庄に着いてからは風花が舞ってました・・・・。